【ゲット・バック・ザ・スーサイド・チョッパー】  うず高く積まれたガラクタの山の中で、老人は死んでいた。  彼は誰かに恨みを買っていたのか?誰かにとって不都合な存在だったのか?これはそうした理由ある死ではなかった。老人は囲んで棒で叩かれ死んでいた。彼は、ただ無軌道な暴力の進路上にいた。今日、無軌道な暴力が選んだ先がここだった。それ以外の合理的な理由もなく、ただ無意味に殺されていた。  重金属酸性雨に晒された死体は冷たく凍り付き、流れ出た血は地面に黒く染み込んでいる。老人は誰にも顧みられることのない周囲のガラクタと同じように、打ち捨てられていた。資産と呼べるものがあったわけでもない。数少ない財産さえ奪われた彼の死に報いれるものは、いないかのように思われた。  その傍らに一人の男がいた。アフロヘアにサングラス、鍛え上げられた裸の上半身にテックジャケットを羽織った、威圧的な容貌の男だ。しとどに降りしきる重金属酸性雨にも構うことなく、老人の亡骸を見下ろしている。サングラスに隠された顔からはおよそ表情らしきものは見て取れなかった。  男は視線を転じた。その先には開け放たれたガレージがある。吹き込んだ風に煽られ、PVCシートが飛び出した。ガレージの中身は空だ。そこには男のものになるものがあるはずだった。男は表情を歪め、固く歯を食いしばるとその場から立ち去った。亡骸には、PVCシートがかけられていた。  ◆  ◆  ◆  2階建て家屋ほども積まれたガラクタ山の頂上で、痩せた男は何をするでもなく空を仰いでいた。「いい天気だぜ、ヒヒヒ……」真っ直ぐに切りそろえた長い髪がそよ風にさらさらと揺れた。ネオサイタマの空は今日も重苦しい暗雲が隙間なく覆い、重金属酸性雨が辛うじて降らない程度にはいい天気と言える。  シバラク・スクラップ・ヤードは、オオヌギ地区における大規模廃品集積所だ。野球場ほどもある広さの集積所には所狭しと廃品の山が立ち並び、プレハブやトレーラーハウスで構成されたオオヌギ地区では、屋根に立てばどこからでもその姿を確認できるとすら言われている。それほどの規模を有していた。  フィルギアの眼下では3人の男たちが廃品漁りに勤しんでいる。彼が見出した仲間たち。ニンジャ愚連隊。彼らは各々手近なガラクタを山から引きずり出しては、無造作に放り捨てていた。「ヒヒヒ、どうだァまだ見つからねえ、危ねッ!」下から飛んできた古いラジオを避け、フィルギアは後ろに転げ落ちた。 「テメエも探せ!!」苛立ち任せにラジオを投げつけたスーサイドは、フィルギアが落ちていった先を確認するでもなく、再びガラクタ漁りに戻る。確認するまでもなく無事であろうし、それはどうでもよいし、時間の無駄だ。目につくところでサボられるのがムカついたから投げた、それだけのことだった。  スーサイドは別の山でガラクタを漁るルイナ―とアナイアレイターを見やる。ルイナーは黙々と捜索を続けている。アナイアレイターは?彼は壊れた家電やビークルの残骸を掴んでは、二つ隣のガラクタ山に放り込み、そこに積み上がった奇怪なオブジェを眺めて満足げに頷いていた。彼は目的を忘れていた。  いや、ガラクタ漁りに飽きているだけだろう。おそらく。「ホントクソだぜ」スーサイドはため息をついた。そもそもなぜ彼らがこのような場所でガラクタ山に挑んでいるのか?大した理由ではなかった。だが致命的な理由だった。アジトの冷蔵庫が壊れたのだ。冷えたコロナがなくなるのは死活問題であった。  事態が発覚したのはつい今朝方のことだ。身の程知らずにも喧嘩を売ってきたヨタモノをひと撫でし、彼らの"おごり"でバーをハシゴしてきた4人を出迎えたのは、温くなりきったコロナであった。勢い呷ったアナイアレイターは、激昂してビンを冷蔵庫に叩きつけた。それで冷蔵庫が直る道理はなかった。  すぐさま緊急会議が開かれ、四人はASAPで新たな冷蔵庫を確保することで一致した。エルドリッチは棺桶から起きてこなかった。そして向かった先が、シバラク・スクラップ・ヤードであった。アジトを構築する品々の大半は、ここで調達したものであり、スーサイドたちには馴染みの場所でもある。  ただし彼らが今捜索しているのは、冷蔵庫ではない。壊れていない冷蔵庫は、この廃棄場の管理棟に既に用意されていた。彼らが捜しているのは、その冷蔵庫を引き取る代償として示された、数種類の電子機器やそのパーツである。その欠損していないものをガラクタ山から発掘するのは、骨の折れる仕事だ。 「おォい、あったぜー……」フィルギアが山の向こう側から、一本のヒューズを片手に現れた。投げてよこされたスーサイドが検めるが、ガラス管に 割れもなく、内部の導体が切れている様子もない。使用可能な状態だ。こちらの様子を聞きつけて近づいてきたルイナーとアナイアレイターに頷いて見せる。 「終わりだ、全部そろったぜ」スーサイドが背負うPVCバッグには、既に指示された他のジャンクパーツが収められている。このヒューズが最後の一つであった。「よォし!さっさと帰ってキンキンので一杯やろうぜ!」アナイアレイターが拳を打ち鳴らして咆える。ルイナーが静かに首を振った。  迷宮めいたガラクタ山の間を通り抜け管理棟へ戻ると、一人の老人が四人を出迎えた。この老人こそ、シバラク・スクラップ・ヤードの管理人である。元々彼はある暗黒メガコーポの下請けのさらに下請けから廃棄場の管理を、日々の生活さえままならない程度の賃金でマルナゲされた身である。  だが来る日も来る日も遺棄され、うず高く積もっていくスクラップの山を見るうち、彼は誰一人としてそれを回収に来るものがいないことに気付いた。実質ここを牛耳っているのは自分だと。そこで彼は、ガラクタ山の中からまだ使えそうなものを見つけては、地元の住民に安価で供給することにした。  あるいはスーサイドらにそうしたように、"商品"をガラクタ山の中から調達させることを引き換えに。そうして日銭を稼ぎ、彼はようやく人並み程度の生活を送ることができている。「おらジジイ、たかが冷蔵庫一つにつまんねェ仕事させやがって」アナイアレイターがPVCバッグを渡しながら毒づく。  老人はあくまで悠然とした態度を崩さなかった。「何を言うか、ここいらじゃまともに動く冷蔵庫なんぞ高級品だぞ。それともあの程度の仕事で根を上げたか?軟弱な若者だのう」「ムカつくジジイだ」「イヒヒ、だからって殺すなよ」口ぶりこそ剣呑だが、張り詰めたアトモスフィアはない。  彼らと老人は名前さえ知らない間柄だが、両者には一定のリスペクトがあった。老人は指定の品が全て揃っていることを確かめPVCバッグを受け取る。「よしよし、きちんと揃えてきたな。それじゃあ約束通り冷蔵庫はお前さんらのもんだ」老人の示した先には「売約済みな」のショドーを貼った冷蔵庫。  管理棟の前には他にもいくつも家電やスクーターなどが並んでいる。古びてはいるが動作は確かなものばかりで、いずれもこの老人が廃品をレストアした立派な商品である。その隣には錆の浮いたモーターヤブが鎮座し「盗ませない」と書かれたショドーを掲げていたが、これは単なる威圧的オブジェであった。 「で、どうやって持ってくつもりだね?」スーサイドは何も言わず、後方を指さす。そこには二台のスクーターバイクと、それに牽かれた粗末なリヤカーがあった。「ぶははははは! えらく貧相なマシーンじゃないか、エエッ?」スーサイドとアナイアレイターの額に青筋が浮かぶ。望んで乗ってはいない。  元々これらのスクーターは、昨日難癖をつけてきたヨタモノが乗っていたものだ。足がなかった彼らは、これを丁重に"譲り受けた"。「アフロのお前さんは立派なハーレーに乗っとたじゃないか、あれはどうしたんだね」「オタッシャしちまったよ」アマクダリに宣戦布告した日のことは、まだ記憶に新しい。 「モノ使いの荒いガキだのう」「だからテメエみたいなのが生活できるんだろ」「違いない」アナイアレイターが冷蔵庫をリヤカーに乗せる。リヤカーは大きく軋んだが、辛うじて壊れる様子はなかった。これをエンガワ・ストリートのアジトまで牽いて行くことを考え、スーサイドは露骨に顔をしかめた。  エルドリッチのチョッパーを拝借する手も考えた。しかし彼は協力者ではあるが、味方でも仲間でもない。不用意に機嫌を損ねる真似をすれば、何をするかわからない相手だった。「フゥーム」スーサイドらの様子になにを思ったか、老人は一つ呻ると不意に踵を返した。「ようし、いいものを見せてやろう」  老人について向かった先は、管理棟の裏手であった。そこには廃材で出来た手製のガレージがあった。中に入ると、修理中と思しき家電類などが所狭しと置かれ、その中央にはPVCシートをかぶせられた何らかの物体……シルエットから見るに、おそらくは大型のオートバイが鎮座している。  「くだらねェもんだったら承知しねェぞ」「そう焦りなさんな」老人は十分に勿体付け、大仰にPVCシートをめくり上げた。「ヒュー……」口笛をこぼしたのはフィルギアだ。最も反応が大きかったのはスーサイドだった。彼はかけていたサングラスを無意識に外した。老人は彼らの反応に自慢げに頷いた。  シートの下から姿を見せたのは、大柄なハーレーだった。排気量は千五百を超えるだろう武骨なVツインエンジンは暴力的な印象さえ与える。長めのフロントフォークを深くレイクさせたチョッパースタイルで、クロームメッキの輝きが艶めかしい。なにより目を引くのは、肉厚なタンクのフレイムパターンだ。  スーサイドはチョッパーに歩み寄ると、矯めつ眇めつそのフォルムを見まわした。よく見るとそのモーターサイクルの実際ピーキーなカスタマイズがよくわかった。フロントブレーキは取り払われ、ノンロッカーのフットクラッチにハンドシフトというタフな仕様だ。スーサイドは知らず感嘆の息を漏らした。  「これは?」ルイナーが訪ねた。「わしの傑作だ」それは、老人の唯一の楽しみであった。彼はこの廃棄場を手にして間もない頃、捨てられていたこのハーレーのフレームを見つけた。それ以来彼は、廃品の中からパーツを探し出しては、一つ一つ組み付け、十数年をかけてようやくここまで形にしたのだ。  実際この一台は、家族もない彼にとっては息子にも等しい。「ジジイの娯楽にしちゃあイカレたカスタムだぜ」「わしも昔はブイブイ言わせとったからの」呆れた様子のアナイアレイターに、老人は呵々と笑った。「イヒヒ……ずいぶん気に入ったみたいだね」スーサイドはハーレーに釘付けになっている。 「どうだアフロの。もう少しでこいつは完成する。そうしたらお前さんに譲ってやってもいいぞ」「アァッ!?」気色ばんで振り返ったスーサイドは、信じられないものを見る眼で老人を見た。「なんつった、ジジイ」「何度も言わせなさんな。そのわしの特性カスタムチョッパー、欲しくないかって聞いとる」 「ふざけてんのか、こいつはそんな……簡単なシロモノじゃないだろ」「ハーハァー……オレも聞きたいね。何を見返りにするつもり?」間に割って入ったフィルギアの目には剣呑な光が浮かんでいる。老人は如何なる意図を持って提案しているのか?タダが一番高い、というコトワザをご存知であろうか。  そんなフィルギアらの様子を知ってか知らずか、相変わらず老人の態度は悠々としている。「別になんも求めちゃおらんさ。言った通りこいつはわしの道楽だ。だが結局、完成したところで満足に乗り回す体力はわしにはない。老い先も短いジジイだ、死んだら終わり。アノヨには何も持って行けん」  事実彼には何一つ含むところはなかった。すべては老人の道楽なのだ。「それよりは乗れる人間に寄越しちまった方が、わしもこいつを腐らせちまわずにすむって寸法よ。納得いかんかね?」老人とフィルギアはワン・インチ距離で見つめあった。彼らの中で最もはかりごとに長けているのがフィルギアである。 「どうなんだ、エエッ?」しびれを切らしたアナイアレイターが、拳を手のひらで打ち鳴らす。無言で老人の目を見つめていたフィルギアは、やおらその視線を外すと、スーサイドらに肩をすくめて見せた。「ま、あるんじゃねェかな。そういうこともさ」「マジかよ」スーサイドはアフロをかきむしった。 「だがよ、またすぐにブッ壊しちまうかもしれねェ」老人の組み上げたモーターサイクルは、今までそうしてきたように、雑に乗り潰すには惜しい逸品だった。だが彼らが使うとなれば、そうせざるを得ない場面は幾度となくあるだろう。なぜなら彼らはニンジャであり、ならず者たちであるのだから。  それでも老人の答えは変わらなかった。「こいつはこのスクラップの山の中から蘇ったもんだ。いずれまたスクラップに戻るのが定めよ。遅いか早いかのことだ。それともお前さんには過ぎたオモチャか?」「ナメやがって」解りきった挑発だったが、そこまで言われてこれ以上尻込みする理由もなかった。 「いいぜ、貰ってやろうじゃねえか」「よしよし、それじゃあ一週間したらまた来い。その時までに仕上げといてやる」老人が差し出した手のひらに、スーサイドは自分の手を打ち鳴らした。「俺にはねェのかよ」「その辺のチャリンコでも持ってけ」「ムカつくジジイだ!」「イヒヒヒ……ケンカすんなよ」  それから四人は、冷蔵庫をリヤカーに積み込んだ。ついでとばかりに、アナイアレイターはトコヤの回転カンバンを積んだ。アジトのガラクタは大半彼が集めたオブジェだ。ルイナーは古いラジオを積んだ。フィルギアは何も選ばなかった。そしてスーサイドは……思わぬ収穫に高揚した気持ちを抱えた。  彼らはスクラップ・ヤードを後にした。  その一週間後。  うず高く積まれたガラクタの山の中で、老人は死んでいた。スーサイドが受け取るはずだったハーレーは、跡形もなく消え去っていた。  ◆  ◆  ◆  ブンズーブンズーブンズーバタバタ、ブンブンブブーンブンズーバタバタブンズー。古いラジオから流れるノイズ交じりのベース音と張り渡されたタープを叩く重金属酸性雨が、廃ビルの屋上に奇妙なセッションを奏でている。時折吹き込む風が張り巡らされたトタンの隙間からワータヌキを濡らした。  サークル・シマナガシのアジトはテントとガラクタで出来た半ば以上吹き曝しの雑な造りであったが、それに文句を言うものはいない。自分たちの手で造ったものだからだ。違法に引いた電気で冷蔵庫が動き、キンキンのコロナが飲めるなら何も不満はない。唯一彼らの旗だけは濡れない場所に掛けられている。  タスンッ。雨音のパーカッションに時折別の乾いた音が混じる。ルイナーの投げるダーツが冷蔵庫に掛けられた的を射抜いた。タスンッ。「ブルズアイ!イヒヒヒヒィーハァーハハハ……」隅に横たわる棺に腰かけたフィルギアが上機嫌に笑った。彼はラリっていた。ルイナーは無視して次のダーツを構える。 「おいッ、空だ」ソファーに体を投げ出したアナイアレイターが空の瓶を振りながら叫んだ。ルイナーは無視してダーツを投げる。タスンッ。「テメエの的になれッてか?」ルイナーは肩をすくめ、冷蔵庫へ歩み寄った。的のダーツを引き抜く。ついでにコロナを一本取り出しアナイアレイターに放り投げた。  ブンズーブンズーブンズーバタバタ、ブンブンブブーンブンズーバタバタブンズー。タスンッ。「イヒヒハァー……」なんら生産性のない怠惰なアトモスフィアが流れていた。彼らにしては珍しいが、この日はそういう気分であった。「たまにはヨロシクやろうぜェ……」フィルギアが棺をノックしながら笑う。 「スーサイド=サンは今頃濡れ鼠かね……」反応のない棺からすぐに興味をなくし、フィルギアはタープの隙間から薄暗い空を見上げた。「心配かよ、マァマ」アナイアレイターは指先でコロナの瓶を開けながら鼻で笑う。フィルギアは声音を作って答えた。「そうよォ、ママは心配性なの……ウッフフ……」 「気持ち悪い」「グワーッ!」ルイナーの投げたダーツが頭部に直撃し、フィルギアは悶えた。アナイアレイターは爆笑した。「いッてェ……ヒヒ、やりすぎだろ……」「ムカついた」それだけ言い捨て、ルイナーは的に向かってダーツを構える。だが不意に投げる手を止め、アジトの入り口を振り返った。  強引に建て付けたアジトのドアが、外から乱暴に蹴り開かれる。身構えるものはいない。入ってきたのはやはりスーサイドであった。重金属酸性雨を滴らせたアフロを気にも留めず、彼は無言でフィルギアの腰かける棺の前まで大股で歩み寄る。「どけ」「ア?」「どけッつってんだよ!」「おい、おい」  フィルギアは立ち上がり、スーサイドの肩に腕を回した。羽織ったテックジャケットは絞れるほどに濡れそぼっていたが、フィルギアは気にしなかった。「どうしたブロ?ただ事じゃないぜ」「なんでもねェ。いいからその腐れゾンビー野郎を叩き起こせ。でなきゃバイクのキーを寄越せ。足がいる」  ルイナーは首をかしげた。スーサイドはスクラップ・ヤードの老人からバイクを受け取りに出たはずだった。だが、彼が帰って来た時エンジン音は聞こえなかった。そしてこの態度。何らかのトラブルがあったのだろう。だがスーサイドが生半なトラブルでどうにかなる男ではないことは全員が知っていた。  肩に回された腕を振り払い棺を開けようとしたスーサイドは、だしぬけに己の顔面に飛んできた物体を右手で受け止め、振り返った。コロナの瓶であった。もう一本が飛び、フィルギアはこれを見ずにキャッチした。ルイナーは冷蔵庫を閉め、椅子を引きずり出し背もたれを抱えるように腰かけた。  「割るなよ」ルイナーが言う。アナイアレイターはソファから動かず、顎で己の向かいの椅子を示した。「座れや。一人でイキがってンじゃねェぞ」「……チッ」しぶしぶ椅子に腰を下ろしたスーサイドは、コロナを開けるとそれを躊躇いなくイッキした。空いた瓶を叩きつけるようにテーブルに置く。  再び棺に腰かけ、フィルギアは己もコロナを一口煽った。「それじゃァ聞かせてくれよ、スーサイド=サン。ウキウキでバイク取りに行ったはずが、キレて帰ってきたッてのは、一体どうしたワケなのかを」芝居がかった調子で尋ねるフィルギアを一瞥し、スーサイドはルイナーに手を差し出す。「もう一本」  ルイナーは黙って手にしていた一本を寄越した。自分が飲むつもりの一本であった。それを今度は一口だけ飲み、スーサイドは押し殺した声で呟いた。「ハーレーは、盗られた」憤怒を噛み締めた声音だった。「ブン盗られたのか?テメエが?」「違う、スクラップ・ヤードに着いたときにはすでになかった」  これより1時間前、スーサイドがスクラップ・ヤードにたどり着いた時、彼は不穏なアトモスフィアを感じ取っていた。濡れた地面に残る幾筋ものタイヤ痕。足早に管理棟へ向かい呼びかけるも、老人の返事はなかった。管理棟の前では商品があらかた無残に破壊され、重金属酸性雨に晒されていた。  裏手の手製ガレージに向かうと、おおよそそこも表と同じ様子であった。修理中の家電といい管理棟の窓といい、ところ構わず破壊の痕跡が蔓延り、開け放たれたガレージからはハーレーがそっくりそのまま姿を消していた。破壊されていないであろうものは、消えたハーレーだけであった。 「そのフテえ野郎はどこのどいつだ」「そこらのヨタモノだろうよ。タイヤの跡が残ってた」コロナを、もう一口。彼の言葉から欠けたものに気付いたものは二人。「ジイさんは、どうした」ルイナーが訪ねた。スーサイドは答えなかった。それ自体が答えだった。アジトを擦れたベース音と雨音が支配した。  管理棟の裏手。ガレージの前に、老人はいた。表の家電類と同じように、囲んで棒で叩かれ、物言わぬ亡骸となった彼は、ガラクタも同然に打ち捨てられ、重金属酸性雨に打たれるがままであった。スーサイドはただPVCシートをかけ、その場を去った。いずれ訪れた近隣の住民が、彼を弔うであろう。  話は終わりであった。見知った老人がマッポーの世にありふれた暴力の標的にされ、死んだ。彼らにとってはただそれだけの話であった。名も知らぬ老人の死は、自分たちにとってもう何も関係のない話であり、なにかしら義理立てする理由も関わり合いになる理由もない。スーサイドはそう結論付けていた。  やがてスーサイドは勢いよく立ち上がり、コロナを飲み干した。そして踵を返すと、アジトの出入り口へ向かう。その背中にフィルギアが声をかけた。「どうするつもりだい、スーサイド=サン」極めて冷静な声音であった。「どうもこうもねェ、あのハーレーは俺のモンだ。取り戻しに行く」「一人でか?」  スーサイドは立ち止まり、しばしその場に立ち尽くした。アナイアレイター、ルイナー、そしてフィルギアに背を向けたまま、どれほどか逡巡する。幾ばくかの沈思黙考を経て、彼は結論を出した。「これは俺一人の問題だ」言い残すと、スーサイドは誰の返事も待たず、振り切るようにアジトを後にした。  アジトの沈黙はそれほど長くは続かなかった。「張り切ってンなあ、スーサイド=サン」コロナを飲み干す音を響かせたフィルギアが足を組みかえながら言う。「イイことだよ、実際遥かにイイ……」「それで」次いでルイナー。「どうするんだ、リーダー」二人の視線がアナイアレイターに集まった。  ルイナーは首をかしげた。頭の横を空の瓶が勢いよく飛び過ぎ、背後の冷蔵庫にぶつかり砕け散った。「くだらねェ……クソガキが、イキがりやがって……」アナイアレイターのパーカーがざわざわと蠢いた。  ◆  ◆  ◆  ノビドメ・シェード・ディストリクトにある廃棄された自動車整備場跡。大型倉庫に併設された整備用ガレージの中で、タジマは一人、上機嫌に鼻歌を歌いながらハーレーのタンクを磨き上げていた。そこは彼らのアジトであり、溜まり場だ。他の仲間たちが倉庫で騒いでいる音が漏れ聞こえてくる。  乾いた布で拭き上げると、力強いフレイムパターンに塗装されたフューエルタンクが艶めかしい輝きを放った。タジマは満足げに唇を釣り上げる。最高のトロフィーだ、と彼は頷いた。今日シバラク・スクラップ・ヤードで見つけたこのハーレーは、タジマの権力を示すこの上ない王冠となるだろう。  タジマのチームは、この近辺を根城としたまださほど大きくはないチームである。後ろ盾となるヤクザ・クランも持たず、単身で縄張りを守る彼らは、タジマ組として周囲からは知られていた。ここしばらく、周囲のチームとの抗争を繰り返し勝利を重ねてきたタジマ組は、徐々にそのメンバーを増やしている。  このまま順調に勢力を拡大していけば、やがてどこかのヤクザ・クランから声がかかることだろう。その時、タジマはチームのリーダーとして、決してナメられてはならない。タジマには、ゆくゆくはネオサイタマを牛耳る一大勢力にのし上がるのだという野望があった。ヤクザの腰巾着で終わるはずがないと。  そのためにはタジマの権威を示す冠が必要であった。彼の力を示すトロフィーが、勝者のベルトが必要不可欠である。このハーレーは、その役目を十分に果たしてくれるだろうという確信があった。気まぐれに選んだ集会所は、彼に思いもよらぬ贈り物をもたらした。磨かれたタンクににやけ面が映る。  シバラク・スクラップ・ヤードのような場所でこれほどの掘り出し物を見つけることになるとは、タジマは想像もしていなかった。自分がチームのリーダーではなかったとしても、このハーレーはあのようなゴミ溜めにあるべきではない。ましてやそこに住まう老人が持ち腐れているなど、冒涜だとすら思った。 「実際バカなジジイだぜ。大人しくしときゃいいのによ」老人は最後まで抵抗をやめなかった。だから自分たちに逆らえばどうなるかを丁寧に教えてやったのだ。結果的に老人は死んだが、その事実は何一つとして彼の感情を波立たせることはなかった。むしろゴミを一つ片付けたような、正しい行いである。  そのような身勝手な理屈を、彼は芯から信じ込んでいた。それがタジマの世界だった。彼は常に正しく、彼の暴力がその正しさの証明だった。ハイスクールではムカつく教師も目障りなナードも暴力で追いだした。この場所にたむろしていたヤンクどもも、全員半殺しにした。何人かは今は手下だ。  イグニッションスイッチを入れ、ハーレーのエンジンをスタートさせる。ドルルルルルン!スロットルを開くと、物々しいVツインエンジンが咆哮を上げる。タジマはほくそ笑んだ。いずれ自分は頂点に立つ。そのような根拠のない確信が彼にはあった。否、今日からはこのハーレーこそがその根拠となるのだ。  ガレージを満たす重厚なトルク音に恍惚を覚える。あたかもそれはタジマを称える讃美歌のように響き渡る。何かが引っかかる。ハーレーは快調だ。それはタジマの記憶に焼き付いた老人の言葉だった。『それに手を付ければ、ロクな目にあわんぞ』意味のない脅しだ。タジマは頭を振り、その記憶を追い出す。  エンジンの調子を確認し、その唸りを止めると、倉庫の喧騒が再び聞こえてきた。ふと、タジマはその騒がしさに先ほどと異なるアトモスフィアを感じ取った。誰か来ているのだろうか?相手が誰であれ手下たちは構わず囲んで棒で叩くだろうが……タジマはわずかに警戒心を抱き、覗き窓から様子を窺った。  ───  ドンツクドンツクスパコンブンブン、ドンツクドンツクブブンブーン!ガレージに隣り合う廃棄倉庫の中には、持ち込まれた大型スピーカーから流れる退廃的テクノの重低音が、大音響で建物を揺さぶっていた。倉庫の中心に置かれたドラム缶からは炎が立ち上り、その炎で串刺しのイカが炙られている。